あせもがいっぱい2017年08月01日

69歳になってあせもに悩まされている。四国へ帰って初めての夏である。汗だくになることは覚悟していたが全身にあせもが出て背中などは痛みを感じる。
関東で暮らしているころから夏は扇風機だけだった。家は古くとも広く窓を開け放てば扇風機だけで暮らせると踏んでいた。確かに汗だくにはなるが体調を崩すわけでもなく何とかなっている。あせも以外は。思えば関東に居た頃は平日は出勤していて昼を家で過ごすことは稀であった。今は毎日クーラーなしで過ごしているわけである。ネット情報によれば肌を不潔にしておくと汗腺が塞がれてあせもになるそうである。
身体を洗い頻繁にシャワーを浴びることが解決手段のようである。


法師ゼミを聞いた2017年08月05日

自由業の気ままさから(仕事がないので)、青春18きっぷの消化のため吉備路へ向かった。一時間に一本の気動車に乗って目的と思われる足守駅に着いた。駅前は田んぼと少しの集落だけで木下藩の陣屋町とは見えなかった。最寄駅は別かもしれないと思って降りるのをパス。そのまま終点総社へいった。例のごとく調査不足が露見したわけだ。折り返し列車に乗って沿線に大きな神社が見えた備前一宮駅で下車した。吉備津彦神社が備前一宮だった。沿革をよむと備前一宮のすぐ隣が備中であるわけがわかった。
とにかく暑い日の午後二時である。壮麗な社殿も陰影が濃かった。

金曜でもあるのか出会った参拝者は数名であった。社の森と建物の一体感がなく建物だけがぽつんとある。神社らしくない感じを受けた。社域は広そうであった(裏山すべて?)が維持管理には苦労があるのだろう。
その裏山で法師ゼミを聞いた。吉備路はもう秋である。
今年は閏5月があったので旧暦6月がまだ続いている。そのためか茅埜輪が紋に据えられくぐり方の案内が掲示してあった。不思議な感覚である。


秋が来ている2017年08月09日

台風一過、荒れた墓地の清掃に早朝出かけた。風は思ったほどではなく手抜き掃除はすぐに終わった。途中、法師ゼミの大音声を聞いた。クマゼミの道に落ちている数も増えている。城山下のグラウンドでトンボが待っているのをみた。おまけに立秋である。
暑さは相変わらずだが、空の色、雲の姿が変わってきた。子供の頃の夏休みの終わりの様子を思い出した。夏の終わり、秋の始まりは、風ではなく目に見える形で分かった。

このころ道で見かけるもの2017年08月11日

道を歩いていると道路上にいろんなものが落ちている。城山では蝉の死骸や蟹の横断を見る。少し前はクマゼミの死骸がが多かったが最近はアブラゼミを多く見かける。盛りの時期の違いだろうか。クマゼミに占拠されたと思っていた城山に昔ながらのアブラゼミが多くいたことを知って妙に安心した。昨日は青栗を見つけた。鳥が運んできた種が成長したのだろうか。しばらくしたら城山で栗拾いができると、楽しい想像をした。
一般道では蝉や蟹の轢死体を多く見る。押しつぶされたり、手足がバラバラになっていたり、無残である。蟻は形にかまわず運んでゆく。これが自然界の掟なのだろう。自転車や歩行者であれば踏みつけて通ったりはしないだろうと思った。

早起きは三文の得2017年08月13日

日曜は6時から太極拳の自主練習に参加している。帰宅後離れたところにある親戚の墓参へ自転車で行った。帰り川沿を漫歩気分で自転車を走らせた。
まず目に入ったのは実った稲と案山子である。もう稲が黄色くなっている。慌てて引返し写真のとった。よく見ると出来は良くない。穂先に実がパラパラとついているだけである。この田だけ早いのは関係あるのか。


次は堰で川魚を狙っている鳥を見つけた。じっと川面を見つめている。そのうち首を突き出し魚を取ると、かたずをのんで見つめていた。帰りを急ぐわけでもないのでしばらく見ていたが一向に動かない。こちらは飽きっぽいのであきらめて帰り始めた。すると鳥もあきらめたか飛び立った。その姿は立たずんている時とは大違いで首の長い鳥であった。鵜だと確信した。東京の下町ではよく見たがこの地で見られるとは思わなかった。


家にたどり着き自転車を片付けるときにカメラを持っていることに気が付いた。信号待ちで眺めていた城山を取ろうとふと思った。いつも家に前に当たり前にある天守閣を写真にとることに思い至るのはこれからも数少ないことだろう。


朝の自転車ツアーで三枚の興味ある写真が撮れ、ブログの種となった。