このころ道で見かけるもの(3)2018年04月06日

一昨夜寒冷前線が通過し風が吹いた。城山の朝練途上で一面の桜の花びらと照葉樹の落ち葉を見た。城山祭りがある日曜まで桜はもってほしかったが、この薄ピンクの絨毯も捨てたものではない。


照葉樹の落ち葉に混じって多くの若葉の芽が落ちていた。萌葱色の桜の花びらより小さな小片が赤茶けゴツゴツした椎などの落ち葉と並んで落ちている。これだけ落ちても山はこれから新樹色に変わってゆくのだ。
椎落ち葉混じる若芽に自我はなし

季節はアナログ2018年04月07日

朝城山へ太極拳をしに通っている。山の木々、鳥などに季節を教えられる。
鶯は笹鳴、初音の頃に比べ流暢に「ホーホケキョ」と鳴けるようになった。しばらくすれば谷渡りまでこなすだろう。
朝練の帰りもう藪躑躅が満開である。桜、躑躅、俳句をやる身から見れば季語で季節が決まることになる。自然は構わず自然に花をつける。
季語は約束事を忘れそうになる。


面伏せて崩れつつある落ち椿

落ち葉の季節2018年04月16日

晩春は落ち葉の季節である。ここ数日前線の通過で風の強い日があった。城山の道には一面に葉が落ちていて、歩くとカサカサと音を立てる。我が家の狭庭にも楪が音を立てて落ちてきている。



これらは秋と違い、若葉への切り替わりである。葉緑素のまだできていない赤っぽい色の幼葉や黄緑色の若葉が枝先に見えている。
生命の必然が見えてくる。人もこのように代謝してゆくのがあたりまえなのだ。

見てはならないものを見た2018年04月27日

今年も又畑仕事の時期がやってきた。父譲りの猫の額の畑で夏野菜を作っている。うまくいった年はないが、「せねば」と気が急いてくる。草の根も石も取り切れていない中途半端で曲がった畝に昨年の残り種と数種の苗を植えた。
今年も、雑草に負けないぞと決意表明はした。


庭では今年もけなげに君子蘭が花を開き始めた。鉢から根があふれんばかり、、茎は傾いている。ほったらかしでも花をつけてくれた。君子の所以か。


畑仕事を終え、昼食に缶ビールを開けた。2階のソファーで日差しを感じなからうとうととしていた。目が覚めてベランダをみたら、卵からかえったばかりと思われる小鳥の赤ん坊が2羽落ちていた。1羽は体を動かしていたが他方は動くともなかった。巣に帰すにも近くに巣のできる木も我が家の屋根に巣も無い。育てる術も自信も無く、そのまま放置した。死ねば埋めてやることができるとも思った。また、うとうとしてしばらくしてベランダを見ると先の2羽の姿はなかった。親鳥が持って行ったのかカラスが持って行ったのか。そもそもその2羽はどういう経緯で我が家のベランダに落ちていたのか。

缶ビールプルトップ引く聖五月