夏の一日2018年07月02日

毎月一日は切山という平家落人の里伝説の山奥にある古民家で漢詩の学習会がある。昨日の雷、豪雨が収まり気持ちよく晴れ上がった。自転車で行けるとこまで行く覚悟で早めに家を出た。予想通り、山の登りで自転車はギブアップ。そこから自転車を押して山道を行った。思ったより時間に余裕があったので気持ちにも余裕が出た。途中、鶯や時鳥の鳴き声を堪能しながらゆっくりと登っていった。

老鴬の声の行き交ふ国境

合歓の花が昨夜の雨で一面に落ちているのを見た。見上げれば妖艶な合歓の花がいくつも残っている。落ちた花と残った花のあまりの対照に感じるものがあった。

合歓の花夢ははかなく落ちにけり

鬱陶しい季節2018年07月05日

台風無事通過、にもかかわらず梅雨前線の雨が激しく降り続いている。
少し前の梅雨晴間には二重虹も水晶球の連なりも見え、美しい季節とさえ思えた。わが家の木の枝や葉に付いた水滴の連なりは光を受けて輝いている。短い間にこの景色は消えてなくなる。虹同様夢のようである。

今年も夏越しの祓のため人形を氏子代表の方から受け取った。今年は7月2日がちょうど半夏生だった。郷社の八幡宮へ人形を納めた。
半夏生と言えば「たこ」。これは知識として持っていたが食べることにはつながっていなかった。スーパのチラシで思い至った。「たこ飯」に挑戦することとした。これが2日遅れの半夏生料理である。少し柔らかすぎた。

参道の屋台の準備半夏生

ゴーヤが変身2018年07月12日

作業小屋にゴーヤカーテンを作るべく準備をしてきた。夕の水遣りはもちろん鉢の雑草取りなど他の夏野菜に比して手間を掛けてきた。様子はこのブログでも紹介した。
昨日水遣りに出かけたところ実の一個の先が黄色く色づき、先が開いていた。昨夕は見慣れたゴーヤの実だったし、どれだけ大きくなるかと楽しみにしていたので、この変身には驚いた。長雨で腐ったのかと心配をした。

実を採ってよく見ると、中の種が朱くなり、今にも外へこぼれるばかりであった。冷静に考えればゴーヤの実が熟し繁殖のために種が地に落ちる過程なのだった。スーパで売っているゴーヤしか知らぬ身はゴーヤが黄色くなることすら予想していなかった。まして熟して種がこぼれるなど。無知は怖いが、判ればゴーヤに愛着がわいた。来年は露地植えに挑戦し、採種する気になった。

にが瓜や種こぼるまで熟しけり

久しぶりの東京2018年07月16日

先日1年数ヶ月ぶりに東京へ行った。元の職場の句会と懇親会(主目的)に参加し、併せて句会の職場展示会を見学するためである。私の句も展示されており、達筆で短冊化されていた。これでは駄句も名句と見える。
    やっちゃ場は本日休み梅雨に入る
句会では多く採択され来た甲斐があった。先生や句友には私の句風が読めるのかもしれない。

四国は豪雨により鉄道も寸断されているが、融通が利かないこの石頭の決心を替えることはなかった。途中富士山が見えた、童謡通りの頭を雲の上に出した夏富士である。美しくはないが力強く感じた。

 黒々と夏雲貫く富士の嶺 

帽子を買ってもらった2018年07月20日

東京からの帰りに娘に帽子を買ってもらった。満70歳の誕生祝いである。
先の帽子は息子が就職した時、工場のある町を見に出かけた際に買った物で幾度も洗濯し色がにじんできていた。みっともないとのことである。
新しい帽子は2個あり、一つは普段使い、後はとっておきである。
普段使いは先日、松山の連句の会へかぶっていった。暑い日であり汗にまみれていたがこれからも使ってゆきたい。
もう一つは、来週末高松で特許の話をする時にかぶってゆくつもりである。

先の帽子は町歩き、山歩き、太極拳の練習、畑仕事と大活躍であった。これからは使い分けることにする。畑仕事には父が残してくれた外径60cmはある麦わら帽を使用することにした。

夏帽子二つ手に入る今日の幸