季節の混在2017年07月14日

城山散歩の途上で珍しい現象をみた。俳句では季節を表現する季語がある。作句では季語の背景を考慮しながら表現を組み立ててゆく。
躑躅は晩春、若竹は仲夏、萩は仲秋、石蕗の花は初冬とされている。江戸、京を中心とした地域の一般的な季節感によったと思われる。ここ四国瀬戸内の小高い山でこれらの植物が今同時に見られる。


異常気象によりもう普段に見られるかは不明である。この地へ帰って初めての夏である。
覚えていれば来年も気を付けてみてみよう。

夏まつり2017年07月16日

昨日は港まつりで夜は花火大会があった。子供の頃は「お伊勢やさん」が祭の呼び名だった。昔からその神社の所在が不明で昨日、今日と漁師街を探したが結局わからずじまいだ。漁師街は通りが狭く入組んでいるのでうろうろするにもはばかられる感じである。
花火は子供の頃から行われていて、港へ行けば夜店がでていて人出も多かった。仕掛け花火という言葉を知ったのもこの花火大会でのことだった。
この年では人混みへでる気力がなく、家のベランダでビールを飲みながら花火を眺めた。小さな町だからこそできることだろう。地方の小都市での花火である。有名どころには及びもつかないが十分堪能した。我が町は素晴らしいところだと思う。「ばかちょんカメラ」で酔っぱらいの写真である。



下関へいった2017年07月27日

先週末、広島での用を済ませた後下関へいった。田中絹代博物館が目当てである。大正時代の電話局舎を改装した建物だった。田中絹代に関する情報は多くあるがここは小林正樹監督(絹代の甥)が寄贈した田中絹代関連の品物があるのが魅了である。
近くの唐戸地区は門司との連絡口だったようで、中心地域として歴史的な建造物がたくさんあった。また門司は本当に目と鼻の先だった。
田中絹代の生家没落、少女見世物団、大部屋女優の経歴を知るにつけ、昔の人のたくましさを感じた。今も昔も生活困難者は変わらずいるがなりふり構わず生きているかは違っているのではないか。今はなりふりを構うのが普通のよういである。

現実は強い2017年07月30日

ここ一週間は、某大学の夏期集中講座の教材作りにあたふたととしていた。5月の初めには決まっていたことでこれまでだらだらと資料をまとめていた。7月20頃、7月中に講義資料を送付してくれとの連絡があり、パニックとなった。
これまでの作業は現実を考えず気分だけで案をつくってきた。現実の日程に上がってくると、これまでの案が甘いものに見えてきた。
いつものことである。現実に引き戻されるとこれまでとは違った方向へ修正を加えていくが、元ネタが甘いのである。変更してはこれでいいか。また変更しては評価する。繰り返しである。元が元だけにいいものはできそうもなく、締め切りが近づくにつれ諦めと居直りが勝ってくる。それでも落ち着かず一日このこと以外は手につかないありさまである。
何年こうして仕事をしてきたのだろう。自分にあきれ果てることである。

蝉の乱舞2017年07月31日

我家の前の城山へは朝、よく登っている。二の丸跡の片隅で太極拳をするのが日課である。目の前の斜面には木々がこんもりと茂っている。今の季節は朝早くから蝉の鳴き声がやかましいくらいである。
蝉が木から木へ飛び移るのはよく見る光景であるが今朝は十匹以上の蝉が木から木へせわしなく飛び交っていた。このような大量の蝉が飛び交うのである。しかもクマゼミである。子供の頃の思い出は城山の桜の木の大量の油蝉である。クマゼミは宝物だったのだが。今は家の中へも飛び込んでくるし、道を歩けばぶつかってくる。
古里の自然も昔と同じからずといったところだ。